海底撈月

手遊び

2022年作って美味しかった料理とよかったアニメ(ーション)

ご飯

今年はレシピ本を買ってそのまま作るということを意識していた。今までは割と代用や自分の好みの味に即興でチューニングしようとして失敗したり、いつもと変わり映えしない味になることが多かったから。

あと、下処理を丁寧にやるとちゃんと美味しくなることがわかった。自分で食べる分には食べる場所(台所で立ったまま)が場所だからそういう繊細な手間はかけないけど。

反省として、主菜が多く副菜のレパートリーは特段増えなかった。

 

白菜の豆乳シチュー

元のレシピでは牛乳を使っているけど、もったりした豆乳の味を味わいたかったから初手で豆乳にしてみたらとても美味しかった。程よい歯応えの白菜に濃厚な豆乳、お肉の旨味とバターと生姜の香り。

長谷川あかり on Twitter: "味付け塩だけ•ルー不要、15分で完成する豚ひき肉と白菜のあっさり生姜シチュー。生姜大好きな夫のアイデアで千切り生姜をトッピングしたら、味がまとまってさらに美味しくなりました。ごはんにクリームシチューをかけるのは苦手だけど、これはごはんにかけて食べると最高です。冷え性の方におすすめ。 https://t.co/5Sk3seS9Bb" / Twitter


きゅうりと豚ミンチの炒め

きゅうりは炒めても美味しい。瓜科だし、今年はズッキーニにも驚いた。

ニンニクの風味が溶け出したお肉の油が絡んだいつもと違う顔を見せるシャキシャキのきゅうり。スッキリと暴力的に美味しい。

夏のスタミナ絶品おかず『きゅうりとひき肉のにんにくみそ炒め』のレシピ | 【オレンジページnet】 - 暮らしのヒント&プロ料理家の簡単レシピがいっぱい!

 

アニメ(ーション)

なんだかんだ今年も同じものを何度も観たりすることが多く、新規に視聴したものが少なかった。その着せ替え人形は恋をする、と明日ちゃんのセーラー服はまだ見れていない。フェティッシュな視座が身体の描き方や見せ方に強く出ているからか食指が伸びない。

 

風のゆくえ

【Ado】風のゆくえ(ウタ from ONE PIECE FILM RED) - YouTube

黒帯が横にかかった4:3のレイアウトに儚さと懐かしさを感じて、ウタの"かつて"を思ってしまう。

シンプルな絵と生き生きと演技するキャラクター、色味、レイアウト、この脱力感で圧倒的な説得力を感じる。

森佳祐氏。


アーケイン

全体の品質が完全に管理されてる作品にビジュアル面で特別な好感を持つことはあまりない(ジブリとか新海誠とか)んだけど、これは一見して感激した。

まあ普通に、面白いから見てくれ。Netflixだ。


サイバーパンクエッジランナーズ 6話

あのSSSS.DYNAZENON10話、SSSS.GRIDMAN9話を手がけた五十嵐海氏が絵コンテを手掛ける。

何かが起こりそうな不穏な空気と失調した現実感を演出するのが巧すぎる。

荒野を幻視する主人公の兄貴分メインは、全身を義体化し精神を蝕まれ壊れゆく最中だ。

我々にしか見えないその幻は彼のルーツを感じさせ、その喪失を強く感じさせる。


ぼっち・ざ・ろっく 3話

それとなさの心地よさ、演出は言葉で語らないんやなって。

主人公の後藤ひとりは、内向的でコンプレックスが強く口も下手だ。しかし、この作品での彼女の感情や内面描写はなによりも雄弁だ。

コメディのように過剰に表情を崩壊させ、身体は変形し、画面は効果的なライティングや画面配置で様々に彼女を映す。

この3話はそれに加えて実写映像を背景にしたり、心情を弾き語ったり、それらが後藤ひとりと、それとは正反対な性格の喜多郁代の出会いを彩る。

最後にはギターしかない自分とは違うと思っていた後藤と喜多が交わった瞬間を、身体的接触や言葉ではなく、他でもないギターの音色が重なることで演出される。感動。素晴らしすぎる。


どぅーいっとゆあせるふ 6話

せるふちゃんの体幹弱そうな振る舞い可愛いね…。

なんかずば抜けて絵がいい。絵がいいというのはデフォルメの仕方とかその的確さとかです。

松尾祐輔氏他。


王様ランキング OP2

Youtubeにノンクレジットのものが上がっていたが、期間限定だったため現在は試聴できない(本当に期間限定にするやつがあるか)

呪術廻戦OP2やポケモンの短編アニメ薄明の翼も手がけた山下清悟氏によるOP

完全にスタイル確立してて凄い。


チェンソーマン ED2

『チェンソーマン』第2話ノンクレジットエンディング / CHAINSAW MAN #2 Ending│ずっと真夜中でいいのに。 「残機」 - YouTube

刈谷仁美氏

 

料理についてメモ1

ごく基本的な事が少しずつわかってきたので、知識の整理がてら共有します。科学に疎いので普通に出鱈目が書いてある可能性がある。

 

火入れについて

○素材を熱すると水分が滲出していく。

・水分で鍋の表面温度が下がる。

・単純に鍋中の水分量が増える。

複数の素材を一つの鍋で調理する場合、どのように火が入るか順番によってそれぞれ変わってくる。

多くの家庭料理のレシピで、素材を投入する順番が指定されているのは恐らく一つの鍋で調理したいというニーズに応えるため。

 例えば中華料理だと油通しという揚げ油にさっと素材を潜らせる技術があって、高温の油で一気に表面の水分が抜け、内部には程よく火が通る。

単に高温で焼くこととの違いは、表面の水分が抜けた際に水分の代わりに油が滲入してしっとりする所。

 

・弱火、中火、強火、火加減を使い分ける

例えば、鍋の表面温度が高い状態で強火で加熱すると、中に火が通らないまま外側だけ過剰に火が通って焦げ付いたりする。

ただ適切に外側の温度を上げて中心温度も上げることによって、火から下ろして保温して余熱で火を通すとかもある(ローストビーフとかステーキとかそうですね)

トマトソースとかやるとわかりやすいとおもいます。強火にかけると水分はすぐ飛びますがクエン酸が分解されて酸味が消し飛びます。

 

・鍋やフライパンの性質を理解する

蓄熱性と熱伝導率を考えてします。熱伝導率が高いアルミ鍋とかだとすぐ焦げます。

正直ここは私も理解が足りないですが、素材を追加した時に温度が下がらないと炒め物に向いているとかそういう感じです。

でかい鉄鍋を使う中華料理とか、炒めるというよりは油通しした素材を和えるという感覚が近い。

 

また適宜調べて追加します。

あ〜cooking for geeksが欲しい。同居人が持ってたんだけど家のどっかに消えましたね。残念。

自分語り2021

 去年(自分語り2020 - 海底撈月)に引き続き、自分語りをテーマに書き連ねようと思います。

去年の記事は、再読に堪えないものだったので読み返したくないし、特に続き物として意識していませんが、通して読むと何かしらの筋が見えるかもしれません。

 

 私はどのように自分語りをすればいいか、どのような文章が自分語りとして受け止められるか、正直のところピンとくるものがありません。

自分にまつわる過去にあったエピソード、来歴、設定などを書き連ねて自分を説明した文章はなんだか違う気がします。(自分語りとして相応しい文章があるとか、そういう話をしたいのではなく、私にとって何が自分語りに能うのか探るためにこれを書いていることは一つ言い加えておきます。)

 

 相応しさをまとわせて虚実織り交ぜる、自分も他人も殺さないコミュニケーション法を学習する前に脳が壊された結果、違和感に対しての感度が下がりそのことについて考えを深めて他者と共有するということが苦手であるというのが関係しているかもしれません。(これは最近身内周りの人間を観察して思ったことですが、徐々に学習しつつあります。)

そのような日常会話の水位から考えると、他者に自分の”感じ”を説明するのが難しかったり、あまり関心がないことに繋がるような気がしますし、それは私の在り様を構成するものの一つであるでしょう。実際私は日常会話で比喩や引用を頻繁に使いますし、日記の描写も景色や動作の説明に終始しています。

 

短絡的ですが一旦、「自分語りの困難(わからなさ)」を「”感じ”の説明の困難」として書き進めてみます。

通常、(通常?)”自分”って直感できるものなんでしょうか。

”感じ”の説明を束ねたものとして立ち上がるような気がします。

”感じ”の説明をしようとする時はじめて不自由さが理解でき、少なくとも”ではない”ことが出てくるからです。

”ではない”ことの集積の先に”自分”があるのだという直感があります。

 

 ということで来年は”感じ”に説明をつけていくことを頑張ろうと思います。

 

ちょっと文をまとめることに不慣れで去年に続きとりとめない文章ですが、ご容赦ください。ありがとうございました。

 

 

日記

蝉の音の不在が晩夏に似つかわしくない日照りに晒される私に、意識の遣りどころを見失わせ夢うつつに河原へと目を伏せさせる。

捲り上げたズボンの裾に手を添えながら白く揺らめく川面を掻き分けていく二つの人影を行き道で見かけたからこそ川べりに下ったのだが、這いまわる蟻とぎろぎろという鳴き声だけがいつまでも頭の中を反響して足を堰んでいた。

 

 ケンタッキーの月見サンドを食べた。何か、月見バーガーって卵のぷりぷりした食感しか頭に残らないな。遠すぎてソフトクリームを食べて自分を鼓舞しないと、とても辿り着けなかった。31℃もあるんじゃない。明日は雨のようだし。

結局、ベンチでボーッと河原の雑草の名前を調べたりしているうちに気分が上がってきて1時間ほど石をひっくり返したりして川の中を散策していた。落差工とか人工物のせいなのか、小魚とタニシが少しと、ようやっと蟹を見つけて満足して帰路についた。

今は帰って、大きなチョコチップクッキーを作り終えたところでこれを書いている。

そのような感じです。

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日記

蝉の鳴き声がまばらになり、茂る草に見当がつくのは猫じゃらしのみで蒸した青が重い頭を掻き撫でる。蛇が轢かれてツチノコ見つけた。ツイートはしないけど、ずっと自転車のブレーキの音しない?そういえば、永遠にしたくて花火を買ったんだった。

 

・今夏はファミマのたべる牧場メロンが優勝です。アイスクリンも脂肪が少なくてさっぱりしていて好きだな。

 ・どちらも季節限定ではないけれど。

 

・この湿度と気圧って対処可能なの?

 ・私が選んだのは養命酒。飲むぞ〜。

 

・マギレコの1期を見終えたからまどマギを見始めた。

 ・最近アニメや映画を視聴するハードルが下がって嬉しい。

 

・作品を見てもどのような物語だったか、作中で何によって何が起こったのかなどを改めて書き(言い)起こしたり、印象を語ったりが時間をかけないと出来ないので感想を言い合うなどの作業に難儀する。

 ・もしかしてみんな、それを見たり読んだりしながら頭の中でやっているのか?

・よほどズレた感想ではない限り、論理やハッタリを引っ張ってくる瞬発力の不足な気がしてきた。ちゃんと書く練習をしたい。

 ・作品内容を記述するディスクリプションについて学ぶため、美術を書くという本を買って読んでいる。こういうのは日常的に実践しないと身につかないということを最近理解した。

 

・秋には、何をしようかな。

 

日記

自分の言葉で書く

自明であると直感する部分について言語化する習慣がない

 ・普通はそういうことを人と話すんだよ

  ・別に選択的に非自明なことを話すわけではない

 ・言語化に難儀するし細部は普通にわかってないんだと思う

 ・身の丈を超えた文章を書こうとしすぎ

  ・ネットに藻屑を流そう

 

ルックバック

 ・作家と企業の負担が凄まじそう

 ・応答を求める速度と生産の速度が絶対につり合ってないよなと思う

 ・二人に焦点が合った作品であると思うし修正は妥当に思う

  ・加害者に対する想像力を掻き立てさせる作りではない

 

雑記

 ・ダルカレーかほぐし肉のカレーが作りたい、なんなら主食にしたい

  ・PFCバランスがある程度よく、米にやられず、こだわりやバリエーションも出せそう

 ・体脂肪率を下げたい、ゴールデンカムイのマッチョマン達、良い

  ・運動しろ~~~

 ・newchicのアロハシャツ可愛いけど1ヶ月ぐらいかかるから来年だな

 ・最近はずっとひがしやしきのラップを口ずさんでいる、ナード野郎な歌詞とメロディがいい

  ・アニメキャラへの恋慕を綴っているのを見て思ったけど、自分は自意識が邪魔してしまってこういう純な気持ちを持てないので憧れがある

 

自分語り2020

本投稿はサークルクラッシュ同好会Advent calendar20日目の記事になります。

adventar.org

内外の刺激に対し、語ること、あるいは沈黙することがあるとすれば、それは例えばいかなる時だろうか。
 
 なんだかいきなり深遠そうな問いを起してしまったけど現実やネット上で何かを言い淀んでしまうことと「自分語り」に直面しての喉が詰まるような感覚の話を、締め切りまでの時間に青くなりながら、つらつら絞り出していくのみになります。現在は20日の朝。思いつきが書き殴られた切れっ端たちではとうとう始末がつけられない、困ったものだ。
まあ太字の表題へ答えるとしたら「自他に<私>を要請された時」とかですかね。曖昧。
 
 
 「私を対象に語ること」と「私以外を対象に語ること」、「自分語り」と「非自分語り」。
「語り」に前提される主体としての私、ただその場に在ることや語ることに付随し、”語られてしまう”私。
語られるか否か、他者の内面において何らかの解釈・評価・判断を下される。他者を自明とし相補的に規定されずには存在できない<私>はどうすれば良いのか。何をどう語ればよいのか。
 
 他者の内面のそれが対人関係の中でどう働くのか全く不可視というところが問題だ。どういう所でどういう振る舞いをすれば人と関係が結ばれるのでしょうか。わからない。
私が認知され要請される場に身を置く、というところまではなんとなくわかる。自ら責任を引き受けに行くというのが大事なんだろうか。今の私は、仕方無しに在るのだから仕方無いじゃないか、と無責任で受動的な態度でいる。(一丁前に政治性を意識したり誠実にありたいと思って動くことはあるが)
 どの責任を引き受けるか、どの私で在ることができるのか、そういった選択や熟慮すらも_
 
 主体が未来予測や行動決定に用いる無数の変項とか命題とか呼ばれるものたちは主体の認知能力に制約を受けるし現実はあまりにも混沌だからあまり深く考えてドツボにハマらんようにしたいですね。と雑なオチをつけて終わります。あまり気負わずにやれることを積み重ねて変容していきたい。
 
 まとまりのない文章をカレンダーに刻み込んでしまい痛切極まりないですがご勘弁ください。
みなさん、2021年も何とか。
 
19日を担当した中田瑠美さんの記事と21日担当の さんの記事も是非に。